体育祭って時代とともに考え方もかなり変わってきている部分があります。
この近年のコロナでさらに体育祭の必要性なども問われてきているのです。
嫌いな人にとってはなくなっても良いと思っているイベントだと思いますし、コロナ渦中実際やらなかったら困ったと言うことにはならなかったと思います。
でもやはり学生たちは体育祭や文化祭の中止で、思い出作りができなかったことへのくやしさなどは吐露していますよね。
そもそも体育祭ってどんな狙いがあって始まったものなのでしょうか?
やる側にとってはあって当たり前の行事だったので、狙いやメリットデメリットなど考えたこともなかったですよね。
今回の記事では、そんな体育祭のねらい、メリット・デメリットなどを紹介していきます。
体育祭のねらいとは?
体育祭のねらいを最初にお話ししましょう。
難しい言葉などで説明すると、
・心身の健全な発達と体力の向上
・ルールを守り協力して責任を果たす
・習慣を身に付けさせる
・クラス、学年及び学校内での望ましい人間関係を形成させる
・自主的な集団活動を実践する態度を育て、集団への帰属意識をはぐくむ
こういう言事が主な狙いになっています。
体育祭は、集団での活動を通して、望ましい人間関係をつくって、自主的・自発的な活動を実践する態度を見せる場といえます。
生徒も体育祭に掛ける熱意・意気込みは強く、その達成感はとても大きなものとなって個々人の記憶にも強く残ります。
体育祭という体験を通して社会性を身に付けたり向上心を喚起したりすることは、とても重要なことであるとも解かれています。
キャリア諸能力の育成の視点からみても、
事前の話合い活動や競技の練習で人間関係形成能力を育成したり、責任をもって係の仕事を行うことで職業理解能力を育成したりすることができる重要な行事である。
さらに体育祭は、競技・企画・運営を通して、主体的に自己を表現していく場でもある。
やり終えたときに得られる充実感や達成感は、今後の学校生活を支えていく自己肯定感といった情意をはぐくむことににも繋がる。
これを読んでどう思われましたか?
正直、時代共に変わっていくべきところで変われていないこと、引き継ぐべき目的として明確な意思で引継ぎされていること、というのはちゃんとしているのかという疑問が湧きます。
昨今、校則の面でも言われていますよね。
「昔から言われているから、昔から決まっているから・・」など意味を教師すら説明できない状態だとか。
この体育祭が悪いというわけでも時代にそぐえてないと言うわけでもないのです。
ただ、このねらいは時代によってちょっと変化させる必要性があると個人的には感じます。
そして何よりも大事なのは、生徒にちゃんとその狙いが理解され、狙い通り達成されているのかという点も大事ですよね。
体育祭をするメリット!
体育祭のメリットを今の時代でも言えるということを加味してお話しします。
・クラスの団結ができる
・コミュニケーションが円滑になる
・学校の大きな思い出として自分の中に残る
・準備から最後までの達成感を味わうことができる
・企画や運営など仕事にも将来関わってくるようなことを学べる
・体を動かすことで心身ともに健康になる
このようなところは時代が変わってもメリットにはなります。
ただし、言えるのは、全員にとってメリットかというとそうではないのです。
クラスの団結に混ざれない人もいる、ビリになる恥じをかくことで思い出として最低になるなど、そういう人もいるのは確かですよね。
体育祭のデメリットとは?
出は体育祭のデメリットは、
・勝敗が決まるので、劣等感が生まれる
・うまくいかないと人間関係のこじれを生む恐れもある
・全員が楽しんで参加できる行事ではない
・運動が得意不得意で左右される行事である
・時間がかなり取られてしまう
・本来の勉強がおろそかになる
・役割によって達成感ややり切った感が違ってくる
というところでしょう。
体育祭というのは、どうしても向き不向きが少しでてしまうのは否めないですよね。
まとめ
体育祭りの目的・狙いというのは確かにありますし、その内容も納得できます。
しかし、その狙いは時代とともに変化すべきではないかと思うのです。
このコロナもあり、生徒自体の考え方もそれぞれ浮彫になった部分があります。
必要のない行事なわけではありません。
ただ、ちょっと向き不向きが顕著に出てしまう行事とも言えます。
狙いをもう一度見直して、メリット・デメリットを考えながら運営方法を工夫していくことも大切なのかもしれませんね。
それと生徒自身が狙いやメリットをちゃんと感じられるようにしないと、やっていて意味がないと言われても仕方がないところかもしれません。